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2016年 07月 02日
2016年 02月 03日
申年最初の吟行地 豊川稲荷へ
寒詣で打ち出の小槌唱え持つ 中尾美智子 つまみ引く神籤箪笥や四温光 彦坂 艶子 立春大吉貼りて伽藍の太柱 林 春美 石仏の頭巾新し四方の春 佐々木千代子 末黒野や一直線に道つづく 中内まつ江 車道へと野焼きの煙流れけり 河合 澄子 沃野にて農夫ひとりの野焼かな 森下 全秀 寒禽の囃して杖の裏参道 佐藤 英子 「俳句は挨拶である」と、俳人の言として読んだことがあります。 最近まで、なんのことかよく分からなかった。それがいっぺんに なるほど、と納得できる説明というか、回答が得られました。 謎解きは。1800年代のはじめ、九州は薩摩藩の支藩、佐土原藩の 寺の住職野田泉光院、は強力平四朗をつれて、全国の神社仏閣を 参拝すりことを思い立ち、56歳のとき行脚に出て、6年2か月をかけて 無事帰国した、その旅をまとめた「九峰修行日記」。これを読んで感心したり 驚たり、しました。 日記の内容はまたの機会にして、全国津津浦々、托鉢する先々で、俳人もしくは 俳句をたしなむ程度の庶民がいくらでも登場して、泉光院は連句をしたり発句をかわす。 日記に書かれた俳人は100人を超えています。 #
by yakushi-ji
| 2016-02-03 15:27
| 句会
2016年 01月 26日
納め句会は みちびき不動(豊川市)12月23日
心字池鯉悠悠と年忘れ 佐々木千代子 着膨れてみちびき不動一巡す 中尾美智子 数へ日や先ず山門の鐘を打つ 中内まつ江 極月の大空祓ふ五色旗 彦坂 艶子 弁天の石の祠や冬の闇 河合 澄子 歳晩や杖を恃みの行者徑 佐藤 英子 歳晩の風を絡ませ吹き流し 林 春美 句境とは目処さえつかず年の暮 森下 全秀 膝を病み冬帝来ると恐れけり 川合 史浩 毎月の例会、休まず吟行にでかける。 苦情も嘆息も聞くことはない。。春夏秋冬吟行はつづく。 いずれ健康その他の理由で、休まれるひと、脱落するひとが 現れるのは、だれにも止めることができない。 そうして、つぎに続くひちがひとりでもくわわば 句会は消えることなく、また吟行も行うことができる。 #
by yakushi-ji
| 2016-01-26 16:14
| 句会
2015年 11月 30日
11月25日、もうそろそろ初雪の便りが、近辺の山から届くころだ。
吟行で、豊川市内の畑作地帯を通り抜けるコースである。畑には、 大根、白菜、きゃべつ ブロッコリ、にんじん、ネギなお馴染みの 冬の野菜が、あおあおと気持ちよさそうに茎を延ばし葉をひろげている。 運転をしながら春美さんが「まだ霜がおりていないから、みんな強いはず」と 薀蓄をを傾ける。 さて、お目当ての大銀杏。大鷲が羽をいっぱいに広げたような樹形は、ほとんどが 緑、てんてんと黄ばんだ葉がちらほらで、とても黄葉とは形容しがたい。ことしも また空振り。「銀杏散る」という季語の句をよむことは、無理だと知った。 ついでは、一宮の「砥鹿神社」。薄曇りで明かるい日差しはなく、七・五・三詣でに 訪れる三世代、パパママ、あるいは親だけとまちまちだが、写記念撮影に みる光景は幸福感があふれている。いまが幸せならば・・・ ぎこちなき草履の歩幅七五三 佐藤 英子 玄海の冬の怒涛に逝く巨木(故北の湖)川合 史浩 神苑に巫女の緋袴冬紅葉 佐々木千代子 吟行に迷路陥る憂国忌 中尾美智子 宮詣で花柊の大樹かな 中内まつ江 ほらあそこ羽二重餅ね冬の雲 森下 全秀 御祓いの赤きベンツや年用意 彦坂 艶子 宮小春良縁祈願ハート絵馬 林 春美 ひと言 戦後七十年、地方文化の一翼を担ってきたと自他ともに信じてきた 俳句短歌川柳の文芸グループ。ここへきて、高齢化による同人会員の 急速な減少に見舞われて、先行きあやぶむ声もきかれる昨今である。 が、スマートホンのドコモのアプリ「俳句・写真くらぶ」の盛況ぶりに は感嘆させられる、全然違う世界で俳句が写真つきで公開され、これを 知ったご同輩があらわれる。写生だ写実だと教えられた高齢化世代を、 追いこし、どんどんさきに走っていく。この項つづく More #
by yakushi-ji
| 2015-11-30 12:59
| 句会
2015年 10月 30日
秋の訪れを知るのに、恰好の場所は山である。
10月28日、吟行は石巻山。老小僧が昭和19年、牛川国民学校に 晴れて入学した。春の遠足は多米の浄水場、母親が同行したため 恥ずかしかったが、この記憶は自分よりガキ大将に強く記憶された らしく、大人になってからも冷やかしの材料にされ、面目なかった。 秋の遠足が石巻山。母のお供はなかっが足の弱かった自分は、行列の 最後につくのが精一杯、「森下、いるか」と先生の大声に「はーい」 と答えると「よーし 出発」の号令を飛ばすのだった。この方が、 もっと恥ずかしかった。 纏らぬ一句に摘まむ落花生 川合 史浩 山の香を句座に持ち込み秋惜しむ 林 春美 烏瓜灯す参道昼の闇 河合 澄子 霊山は自然の宝庫秋高し 中尾 美智子 秋風の強き山頂街一望 佐々木千代子 はだら日に椎の実拾ふ山路かな 森下 全秀 朴落葉吹き上ぐ風に逆らひて 中内 まつ江 冷まじや壁に恨むの文字記し 佐藤 英子 野辺の実を皆で採りつつ宮詣で 彦坂 艶子 ひと言 山本健吉編「季寄せ」をみると「秋」がつく季語が 120余り並んでいる。一日一句詠んでも四か月もかかってしまう。 では「春」はどうかとみると16しかない。「秋」から最後の 「秋忘れ」まで、秋をつければ当然季語になるので苦労はしないですむ。 秋忘れは、秋収めは、小作人が年貢を納め、地主に挨拶を済ませば、 あとはおおいに飲み食いして、一年の苦労を忘れてしまおう、と。 が、秋小寒に目覚めたら、あきの夜長が待っている。秋さびしなど詩心を おこすような雰囲気は、湧いてこないのである。 #
by yakushi-ji
| 2015-10-30 14:21
| 句会
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