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2007年 03月 25日
前回につづいて、REIKOは昭和20年、米軍による空爆で横浜で
罹災、つまり焼け出されて、豊橋の縁戚をを頼って、牛川町の中心 南郷の味噌醤油販売業(当時味噌醤油は販売統制による配給制) になっていた)のOさん宅に疎開してきたのだった。 疎開児童が少女時代を、なれない田舎暮らしでおおくったその 裏側にかくれた苦労は、今日では想像するしかない。 とにかくレイコこが話したその断片をつなぐと、彼女は小学校を 卒業してまもなく(家出同然)で、横浜にかえり成人して高島屋に派遣 店員」として働いていたとき、アメリカ兵と恋に落ち渡米、グアムやフロリダ など基地を転転とうつる。その後、夫はベトナム戦争にも参戦し死亡。 彼女は男の子を育て(その間の苦労は筆舌では言い表せない)、現在は ハワイはワイキキの郊外に自宅を得て、やはり退役軍人のステイブと再婚 いまはハッピイな毎日をおくっているという。温和なステイブは巨漢そのもの レイコは、小柄で痩身「ブロウクンしかできないの」と。でも彼は和食は大好き」 純日本式なランチをかるがる平らげ、レイコの分もきれいに片付けてしまった。 今回の日本旅行は「彼が富士山と日本のさくらがみたい」が理由。でも円安の 最近の為替事情を考えて、旅行の日程を組んだというから、やっぱりアメリカの 主婦は違うなあ、と感心させられた。二人の睦まじい生活に乾杯。
by yakushi-ji
| 2007-03-25 14:13
| 全秀ニュース
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